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天才伊藤智仁の高速スライダーはどのくらい凄かった?全盛期を語る。

2018/05/21
 
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こんにちはー!野球ブロガーのひらっち(@yakyuutalk)と申します。今回からテーマを少し変えまして

自分が野球を見てきて20数年でインパクトのあった名選手達を紹介してくコーナーを始めていきたいと思います。

小学校時代自分がのめり込んだ選手でヤクルトの伊藤智仁という選手がいました、その時代まだまだJリーグブームでサッカー好きだったため、野球に無知でプロ野球にはどんな選手がいてというのをあまり知りませんでした。この伊藤智仁投手の凄さを知ったのは1994年に発売された実況パワフルプロ野球が最初だったかなと記憶しています。小学校低学年くらいでしたかね?

ちょっと伊藤智仁選手の凄さについて語っていきたいと思います。

初対面は実況パワフルプロ野球、スライダーのえぐさは球界ナンバーワン!

コントロール、スタミナともB Bという当時としては平凡で最高スピードも147kmとプロ野球界の中では伊良部投手、木田投手、石毛投手と150km以上投げる球の速い投手はいましたから、中の上くらいでした。

とにかく凄かったのがスライダーの曲がり方とスピードですね。当時の選手の中でも異色というか凄まじいスライダーでした。

曲がり過ぎて真ん中に投げても全部ボールになるんですよ(笑) 当時といえばセリーグだと中日の今中慎二投手でしたり、パリーグだと近鉄の野茂英雄投手が超一流と呼ばれていましたが、彼らの域も超えていたんじゃないかと思える並大抵じゃないルーキーでした。しかもスライダーだけで全てが変わるようなそんな魔球を持った投手でした。ゲームの中とはいえ、これで伊藤投手の凄さを始めて知る事になるのです。

ただ残念な事にパワプロがきっかけでプロ野球に夢中になり始めた1994年には伊藤智仁投手は故障で一軍にいませんでした。この年は巨人が10.8の国民的行事を作った年です。結局どんな凄い投手だったのか父親に聞くくらいしか情報がなく、2年ほど年月が流れた1996年の半ばにようやく伊藤智仁投手を間近で見ることになるんです。

最初試合で見た印象はスライダーはそれ程でもない、球は結構速いなと

最初見た試合は1996年だったと記憶しています。印象ですが、細身でスマートな投手だなと。故障明けで、ルーキーの時のようなピッチングはできないだろうなと思ってたんですが、結構スライダーよりも速球が速かったイメージがあります。

当時のヤクルトってブロス、石井一、山部、山本とと球の速い投手って多かった気がするんですが、その中でも伊藤投手はキレイというイメージが強かったですね。ただ、絶対的な凄さは感じなくて、頑張れば巨人でも打てるんじゃないの?と見ていました。(笑) でもスライダーを簡単に見逃してるバッター達を見ると何で打てないのかなと思ってました。

1996年は球速は144-148kmくらいでしたでしょうか?確かにスライダーは他の投手とちょっと違うなと思いましたが

この年はリハビリ期間だったんでしょうか?そこまでの凄さを感じませんでした。

MY Bestは1997年のシーズン、153キロの速球を武器にカムバック賞を受賞!

自分が見た中で一番凄かったと思ったのは1997年の年ですね。伊藤智仁が抑えとして活躍した年です。

当時抑えといえば高津投手でしたが、この年は不調でセットアッパーに、特に巨人打線はこの年外国人ルイスを筆頭に

清原、仁志が低打率で本当に打てない年でした。松井くらいしか打っていない記憶があります。

結構この年の動画が残ってるので改めてふり返ってみるとストレートの速さが尋常じゃないくらいアップしていますね。

153kmとかルーキーの時よりアップしてるやん!?とスライダーよりストレートの凄さにビックリした年でした。

たしか1997年のパワプロ査定でも高速スライダーの曲がりは5くらいで全盛期程ではなかったと記憶しています。

当時広島の前田智とヤクルト伊藤智に関してはセリーグで天才として謳われていましたから、贔屓チームではないとしても結構チェックしていました(笑)

1998-2000年の3年間は先発投手として活躍!

当時153キロ投げて高速スライダーを投げる投手というのが球界にはいなかった為、(1999年に怪物ルーキー松坂が登場するまでは)、やっぱり異彩を放っていましたね。今後は毎年伊藤智が毎年見れてどんどん良くなっていくはずだと思ってましたが

1998年以降は先発に再転向、防御率は2点台と優秀な成績を残していましたが勝ち運に恵まれていないなという印象でした。1998-2000年あたりはちょうど転換期というか野村再生工場の選手もだいたい長くは活躍できず2-3年活躍しては故障していなくなるパターンが多かったです。2.72→2.28→3.14と好成績を残していたものの、期待度は17-18勝レベルでしたから

ちょっと物足りないかなと感じていた3年間でした。先発投手だったので球速は抑えめで投げていて1997年程のインパクトは正直なかったです。

2001年からは怪我に泣かされ結局引退し投手コーチに

この頃も慢性的な故障に悩まされ続け右肩の手術を2回やる事に。2002年には右肩を亜脱臼し、これが選手生命を完全に断たれたターニングポイントだったのかなと、球団からは引退を勧められたが88%の減俸を飲み現役を続行、

正直ファンとしてももう無理だろうなと思っていた2003年シーズンでしたが球速が109kmしか出ず、4日後10月29日で引退しました。

まとめ

それから15年が経過しダルビッシュ、田中、岩隈、マエケン、大谷と超一流の投手はたくさん出てきましたが

伊藤智仁くらい高速スライダーという分野でわくわくさせられた選手っていないんじゃないかなと思ってます。

確かに松坂、ダルビッシュ、田中のスライダーも凄かったと思いますが、魔球レベルまでいったのは伊藤智仁だけですね。

唯一伊藤レベルで凄いと思ったのはカブスにいて1試合20奪三振を記録したケリーウッドくらいでしょうか?つまり伊藤のスライダーは世界レベルだったという事でしょう。

あの綺麗なフォームも魅力ありましたし、球速が伸びた1997年のワクワク感は未だに覚えています。

 

 

 

 

 

 

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