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阪神の監督で歴代NO.1監督は?金本監督の采配について

2018/03/27
 
koushien
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こんにちは野球ブロガーのひらっちと申します。

さて開幕まで1週間を切り、各チームの戦力分析も何となく語り、あとは監督くらいでしょうか?(笑)

先日は巨人の高橋監督を語らせて頂きましたが、今日はその宿命のライバルとも言える阪神タイガースの監督について少し語っていこうかなと思います。自分が見始めた90年代の阪神はそれはもうまさに暗黒時代と言っていい時代でしたが、2000年代から徐々に上昇。

今やAクラスを常に狙えるチームに成長したなと言えますね。今年就任3年目の金本監督はもちろんの事、歴史を語る上で歴代の監督さんについても早速語らせて頂ければと思っています。因みに阪神の監督は2-3年ですぐ退任していまうのが伝統なのでかなりの監督がいます(笑)

目次

阪神の歴代監督一覧

1935年にタイガースが発足。最初は大阪タイガースと名乗っていたようです。

初代 森茂雄監督(1936年)

2代目 石本秀一監督(1936〜1939年)

この頃から既に打倒巨人という図式が出来上がっていたようです。

第1期黄金時代が到来します。

3代目 松木謙治郎監督(1940年〜1941年)

読売ヴェルディ-の監督じゃありませんよ(笑)

選手としても優秀な方だったそうです。

4代目 若林忠志監督(1942年〜1944年)

このあたりになると少し野球マニアの方なら聞いた事ある名前かもしれません。

ハワイ生まれアメリカ育ちの監督です。

5代目 藤村富美男監督(1946年)

この方が初代のミスタータイガースと呼ばれた方です。史上最強と呼ばれたダイナマイト打線の中核を担っていたそうです。

6代目 若林忠志監督(1947年〜1949年)

2回目の監督就任ですね!七色の変化球の持ち主と言われ日本の投手として初めてナックルボールを投げた投手らしいです。

選手兼監督としてフル回転していました。

7代目 松本謙治郎監督(1950年〜1954年)

2度目の就任です。現役を引退し監督に専念。後に東映フライヤーズの監督になるまで阪神の監督を務めます。

8代目 岸一郎監督(1955年)

この年33試合をやって休養。温厚な監督だったらしいですが、若手主体でベテラン勢からの反発が大きかったらしいです。

9代目 藤村富美男監督(1955年〜1957年)

ここで10年ぶりに藤村監督が誕生します。藤村排斥事件というのが起きこの事件が影響し引退。監督業に専念しますが

不可解ともいえる監督交代があり、1958年から監督に復帰します。

10代目 田中義雄監督 (1958年〜1959年)

日系アメリカ人の監督でカイザー田中と呼ばれていたそうです。監督しても2年連続2位とそこそこ優秀な成績をおさめていました。

小山正明・村山実の投手2本柱と鎌田実・吉田義男・三宅秀史の鉄壁の内野陣という(ちょっと野球マニアなら知っている名前の選手ですよね?)

1960年代の2度の優勝の基礎を作ったそうです。

11代目 金田正泰監督(1960年〜1961年)

選手時代はダイナマイト打線の中核を担っていた金田選手でしたが、監督になると選手との衝突が多かったそうです。

12代目 藤本定義監督(1961年〜1965年)

名将として名高い藤本監督ですが、プロの選手としての経験はありませんでしたが、選手の人心掌握に優れた監督だったそうです。

日本で先発ローテーションを本格的に導入したのがこのお方。ただし先発・中継ぎ・抑えといった投手分業制は嫌っていて先発完投型の投手像を追い求めていたそうです。

13代目 杉下茂監督(1966年)

このお方は有名ですよね?現役時代はフォークボールを投げてフォークボールの神様という異名を取り、コーチ、監督になってからは

ジーン・バッキーをエースに育てました。

14代目 藤本定義監督(1966年〜1968年)

先発ローテーションを確立し、小山、村山、バッキー、江夏という稀代の名投手たちを上手く使い投手王国を作りました。

15代目 後藤次男監督(1969年)

温厚な人柄だったらしいですが、成績をきっちりと2位をキープ。ちょうど田淵が入団し、江夏がエースとして君臨していました。

16代目 村山実監督(1970年〜1972年)

村山実さんといえば防御率0.98という凄まじい数字を残されている阪神の大エースと呼ばれている投手です。

投手兼任監督は無理があったらしくヘッドコーチに監督代行を任せていた時期もあったそうです。

17代目 金田正泰監督(1972年〜1974年)

2回目の就任です!2年連続で好成績を挙げたそうですが、選手との衝突が絶えなかったらしく、チームの低迷とともに退任。

ちょうどV9時代が終わり田淵が本塁打を量産していた頃ですね。

18代目 吉田義男監督(1975年〜1977年)

ここからようやく自分がリアルタイムで見たことある監督さんの登場です。現役時代は牛若丸として鳴らしたムッシュ吉田こと

吉田義男監督です。第一政権では田淵が本塁打王、ブリ-デン、ラインバック、掛布など重量打線を形成もチームがうまくまとまらず

3年で退任してしまいます。江夏と江本のトレードがあったのもこの時期ですね!

19代目 後藤次男監督(1978年)

2度目の就任ですが、球団史上初の最下位に低迷してしまいます。結構投手に関しては無茶な采配をしていたそうです。

代打 川藤などはこの時期に誕生!!つなぎの後藤と言われていたそうです。

20代目 ドン・ブレイザー監督(1979年〜1980年)

シンキングベースボールを日本に持ち込んだ偉大なお方であの名将と言われた野村克也氏にも影響を与えています。

掛布が48本で本塁打王、巨人から江川とのトレードで移籍した小林繁が22勝を挙げて最多勝を獲得します。

考える守備を掲げましたが、岡田の起用法に対する阪神ファンの嫌がらせに夫人が不快感を示し、翌年シーズン途中で退任、帰国してしまいます。

21代目 中西太監督(1980年〜1981年)

選手時代は怪童、打撃コーチとしても非常に高い評価を得ていた中西太が阪神の監督に途中で就任しましたが、低迷。

2年目は江本と対立し、ベンチがアホやから野球ができんという迷言を残し引退。猛虎打線の基礎を築いた方と言われています。

22代目 安藤統夫監督(1982年〜1984年)

3位、4位とそこそこの成績を残しました。山本和行を抑えに転向させるなどしました。ランディーバースが入団したのもこの頃でしたが

安藤監督の評価は低かったらしいです。

23代目 吉田義男監督(1985年〜1987年)

そして阪神の奇跡の優勝と言われた85年に吉田監督が2回目の就任、真弓、掛布、バース、岡田の史上最強打線を形成。

(第二次ダイナマイト打線)そして史上初の日本一となりますが、それもつかの間、87年は投手陣が崩壊、低迷し最下位に。

天国と地獄を味わう3年間となってしまいました。ここから15年近くに渡る暗黒期に突入してしまいます。

24代目 村山実監督(1988年〜1989年)

少年隊を生み出すなどしましたが低迷。バースの退団、掛布の引退などで2年連続最下位に、2年目はセシルフィルダーが本塁打争いするも

5位に終わります。

25代目 中村勝広監督(1990年〜1995年)

暗黒時代でしたが、6期に渡る長期政権でした。2年連続の最下位に終わりますが、1992年になると急に上昇。亀山と新庄など若手を抜擢、外国人もオマリー、パチョレックなどが当たり、2位に浮上します。93.94年は2年連続4位も 95年に再び低迷、この頃は貧打に苦しみ。シーズン途中で退任します。

26代目 藤田平監督(1995年〜1996年)

新庄などと確執が起きたりもしたが桧山を4番に抜擢するなど、若手を使い試行錯誤を繰り返したが最下位。あまり選手の評判は良くなかったそうです。

27代目 吉田義男監督(1997年〜1998年)

3度目の監督にフランスの監督も務めたムッシュ吉田が復帰。大物外国人マイク・グリーンウェルが7試合で帰国してしまうなど、弱体化したチームを立て直す事はかなり難しく試行錯誤の末2年で退任していまいます。

28代目 野村克也監督(1999年〜2001年)

長らく低迷してしまったチームを改革すべく、ヤクルト時代に4度のリーグ優勝を成し遂げた名将に監督を要請。野村再生工場に誰もが期待をしましたが、長年染みついた負け癖を取り除く事はできず、3年連続の最下位。選手との衝突や夫人の逮捕劇などもあり退任しますが成本、新庄の再生などには成功しています。あとこの時、伸び盛りだった矢野、赤星、井川などを育てています。苦肉の策から出た遠山・葛西は有名でしたね。

29代目 星野仙一監督(2002年〜2003年)

このチームを変えるには怖い熱血漢の監督しかいないと要請された外様監督2代目が中日から来た星野仙一監督です。

野村監督時代に育てた戦力を基盤に、広島の4番金本を筆頭にFA、トレード、大幅な戦力外を行い、テコ入れ。4位に浮上すると負け癖体質を総入れ替え。違うチームに生まれかえらせました。エース井川と4番金本を基軸に悲願の優勝に導きます。しかし体調不良で2年で退任。

30代目 岡田彰布監督(2004年〜2008年)

1年目は4位に低迷するも2年目から本領を発揮、勝利の方程式としてJFKを発足。現在に至るまでの中継ぎ陣の基礎を作り上げる。

その他藤川球児の台頭、赤星、下柳、金本、今岡、矢野などが活躍。2年ぶりの優勝に導きます。

その後も鳥谷などを獲得し2位、3位、2位を好成績を維持も優勝を逃した責任をとり監督を辞任。

31代目 真弓明信監督(2009年〜2011年)

近鉄などで打撃コーチとしてそれなりの評価は得ていましたが、監督としての評価は今ひとつのようです。

赤星の引退、今岡の退団などもあったがメジャーリーガーの城島を獲得、マートン、ブラゼルも当たり、チーム打率.290を誇る

第4次ダイナマイト打線を形成します。ただ投手陣の起用がうまくなかったのか4位→2位→4位と低迷し退任。

32代目 和田豊監督(2012年〜2015年)

暗黒時代を支えた1番バッター和田監督が就任。今までの監督より地味なイメージがあり、マスコミの評価は低かったようですが

投手陣や外国人、ベテランのやりくりは結構上手で、ゴメス、呉昇桓、マートン、メッセンジャーがタイトルを獲得。ドラフトでは藤浪をクジで引き当て、外国人も当たるなど5位→2位→2位→3位と好成績を維持。

金本監督にバトンタッチする。

33代目 金本知憲監督(2016年~)

真弓・和田監督時代はぬるま湯体質とマスコミに酷評されていたため、2000年代の優勝の立役者金本監督が就任。

超変革を掲げ、また長期に渡って優勝するチームの変革に乗り出しますが、1年目はうまく軌道に乗らず、4位に。若手を中心に選手の底上げを図り、2年目は中継ぎ陣のふんばりなどもあり、2位に浮上します。

金本監督ってどんな監督??

金本監督はマスコミ対応に長けた監督だなーという印象を受けますね。取材を受ける回数も今までの監督より尋常じゃないくらい受けていますし。

そーいう部分は星野監督の影響も受けているのかなと思ったりもしますし、マスコミ受けが良くなかった真弓、和田監督とは全く違ったタイプの監督といえるでしょう。おそらくやりたい野球の理想像は派手な野球をやりたいのかなというヴィジョンが見え隠れしますが、チームの戦力と照らし合わせて考えた時に投高打低のチーム事情的にそれが難しいのかなとも感じますね。

広島時代のスパルタ三村監督、阪神時代の熱血漢の星野監督、常識から逸脱した岡田監督その時代のライバルであった原監督、落合監督を参考にしているとのうわさも。去年あれだけ中継ぎをうまく使えたあたりは岡田監督の野球を継承しているとの声も。

金本監督の育成力が試されるのは3.4年目になった今年、来年あたりでしょうか?収穫できる年になるのか、星野監督時代から育成というより、FAやトレードで他のチームから獲ってくるスタイルに変わり、なかなか若手の底上げが難しいチームになってきていたので、育てるという部分で結果を残したい、そういう文化を根付かしたいという点で広島のような野球を目指しているのを感じる金本野球ですね。

 

 

 

 

 

 

 

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