巨人FA補強獲得歴代過去の選手は?成功より失敗が多く末路が悲惨でその後は?原監督時代編

こんにちは!12球団野球ブロガーのひらっちと申します。毎年のようにストーブリーグを賑わせてくれるFA選手達ですが、今回はジャイアンツに移籍してきた数多くのFA選手がいますが原監督時代に獲得した選手歴代編として語っていこうと思います。若大将として現役時代から巨人の4番打者として君臨、その甘いマスクとカリスマ性、突き刺さる言葉で数多くの他球団の選手を落としてきた原監督ですが、一体どんな選手を獲得したのか第3次政権も始まるのでふり返ってみたいと思います。
巨人といえば外様に厳しく冷たいというイメージがあるようですが、果たして本当なのか、引退後の彼らの動向も踏まえてみていければと思っています。
目次
- 1 原辰徳監督時代は2002-2003と2006-2015の12年間!獲得した選手は誰?
- 1.1 前田幸長(2002-2007年) 活躍度★★★☆☆ 3.4
- 1.2 野口茂樹(2006-2008年) 活躍度★☆☆☆☆ 1.5
- 1.3 豊田清(2006-2010年)活躍度★★★★☆ 3.6
- 1.4 小笠原道大(2007-2013年)活躍度★★★★★ 4.8
- 1.5 門倉健 活躍度 ★☆☆☆☆ 1.4
- 1.6 藤井秀悟(2010-2011年) 活躍度 ★★★☆☆ 2.8
- 1.7 村田修一(2012-2017年)活躍度 ★★★☆☆ 3.7
- 1.8 杉内俊哉(2012-2018年)活躍度 ★★★☆☆ 3.7
- 1.9 大竹寛(2014-) 活躍度 ★★☆☆☆ 2.8
- 1.10 片岡治大(2014-2017年)活躍度 ★★★☆☆ 3.0
- 1.11 相川亮二(2015-2017年)活躍度 ★★☆☆☆ 2.6
- 1.12 金城龍彦(2015年)活躍度 ★☆☆☆☆ 1.3
- 2 原政権12年間で12人のFA選手を獲得!活躍したのは?引退後はコーチ業が多い?
- 3 まとめ
原辰徳監督時代は2002-2003と2006-2015の12年間!獲得した選手は誰?
前田幸長(2002-2007年) 活躍度★★★☆☆ 3.4
ロッテ、中日時代に貴重なサウスポーとして活躍した前田幸長投手をまずは獲得しました。ロッテ時代は日本では当時珍しかった変化球ナックルを駆使した先発完投型タイプで、中日時代前半は先発、後半は中継ぎ投手として活路を見出しました。しかし次期監督に決まっていた山田久志氏とソリが合わないということでFA宣言し巨人に移籍します。正直個人的には巨人で活躍するのは過去の負け数を見て難しいと思って見ていましたが、実は先発より中継ぎに適性があり、日本一速いと言われたクイック投法なども話題になり、ランナーが出た場面の出番も増え、巨人時代前半は大活躍!2年連続50試合に登板し、移籍1年目は優勝(これが自身初の優勝)にも貢献。2005年くらいから徐々に防御率が下降線となり、2007年で退団。メジャーリーグを目指しましたが叶わず、2008年に引退。その後は地元九州で野球解説者、タレントとして活動中。
野口茂樹(2006-2008年) 活躍度★☆☆☆☆ 1.5
原監督現場復帰後第一弾の仕事としてまずFAで中日からサウスポー投手野口茂樹投手を獲得します。野口投手といえば星野監督時代に目をかけてもらった投手で、コントロールは非常に悪かったですが、球にキレがあり1996年にはノーヒットノーランを達成、その後コントロールが改善され二けた勝利を3度記録。特に1999年は19勝を挙げ最多勝。MVPを獲得するなどチームの優勝にも貢献するまで成長を遂げた投手でした。しかし山田監督時代くらいから思った活躍ができなくなり、2005年まで低迷。原ジャイアンツで再起を図りますが、同じサウスポーでライバルでもあった内海、高橋尚成らとの競争に負け、巨人でもたいした活躍はできず、移籍3年目は一軍登板無しで戦力外通告。その後独立リーグに所属し、トライアウトなども受けますがどこからも誘いがなく結局引退。現在はスポーツ施設のメンテナンス会社の社員として勤務。時折ドラゴンズ主催の少年野球スクールの講師を務めているそうです。
豊田清(2006-2010年)活躍度★★★★☆ 3.6
東尾監督に見出された投手で、コントロールの良い先発投手として活躍していましたが、怪我をしてしまい低迷、その後はリハビリを経て球速が10キロも増し、球の威力が増したため抑え投手として大活躍。東尾、伊原監督時代は絶対的守護神として2001-2003年の3年間は凄かった記憶があります。その後やはり故障などで登板機会を減らしていき、西武晩年はやや衰えが見え始めましたが、FA宣言して巨人に移籍します。当初は抑えを期待されていたものの安定感を欠き、移籍2年目2007年からはセットアッパーに転向、ここで活路を見出します。2007-2009年の3年間はセットアッパーとして君臨しチーム3連覇に貢献も2010年は不調で戦力外通告。その後1年間広島カープで中継ぎとして活躍も引退。その後は巨人の二軍投手コーチ、一軍投手コーチとして手腕を発揮。マシソンを一人前に育てあがるなど投手コーチとして優秀との評判です。
小笠原道大(2007-2013年)活躍度★★★★★ 4.8
日ハム時代はルーキー当初は捕手だったが打撃センスを買われ内野手に転向。そこで一気にブレイクしバントをしない二番打者という新たな二番タイプを形成、その後は3番打者としてパリーグを牽引する打者へと成長。首位打者2回、本塁打王1回、打点王1回ベストナイン、ゴールデングラブも獲得。通称ガッツと呼ばれ野武士のような風貌からファンに親しまれていましたが、FA宣言し2007年に巨人に移籍。そこでも実力を発揮し4年連続3割30本を記録し、2007-2009年の3連覇に貢献。
2006-2007年には違うチームで2年連続MVPを獲得するなど、日本球界でも屈指の打者となります。2011年以降は統一球の影響もあり一気に成績を落としてしまいますが、巨人ファンの評判は上々で、未だに原ジャイアンツの救世主はガッツであると思っているファンは多いようです。その後中日に移籍し代打の切り札として2年活躍し引退。その後は中日の2軍監督として現在指揮していて将来の中日の監督候補と呼ばれています。
門倉健 活躍度 ★☆☆☆☆ 1.4
中日時代から長身と角度のあるストレートとフォークボールを駆使し星野監督の元2度二桁勝利をあげ活躍、トレードで近鉄に出されるも2001年に優勝を達成、その後横浜にトレードされるも牛島監督や小谷コーチとの出会いで再起し2度の二けた勝利を挙げる。しかしフロントと対立し、FA宣言し巨人に移籍します。自身が認めるようにコントロールが大雑把な投手で、競争が激しく細かな野球を要求される巨人の野球に合わず、出場機会も徐々に減り、2年で退団。自由契約となり、韓国球界(SK、三星)で3年ほどプレー。その後日本球界のトライアウトを受けるも不合格で引退。その後韓国の三星で現在ソフトバンクのバンデンハーグを指導しコントロールを改善させるなどコーチとしての手腕を発揮、2019年から中日の二軍投手コーチ就任が決まっています。
藤井秀悟(2010-2011年) 活躍度 ★★★☆☆ 2.8
ヤクルト時代は若松監督の元で最多勝を獲得し、トレード先の日本ハムでもそこそこの活躍を見せていました。FA宣言で巨人に移籍します(後々日ハムから戦力外を受けていたことが発覚)。移籍1年目の2010年は先発ローテーションに入り規定投球回には達しなかったものの、7勝をマーク。貴重な左投手として活躍しましたが、2011年は競争に敗れ1試合のみの登板で終わってしまい、翌年は村田修一の人的補償でDeNAに移籍。ここでもそこそこの成績を収め。2014年に引退します。2015年からは巨人の打撃投手として活動しています。
村田修一(2012-2017年)活躍度 ★★★☆☆ 3.7
横浜の主砲として2回の本塁打王を獲得し、村田は優勝できるチームに移籍したとの事で巨人に入団してきました。入団一年目は持ち前の長打力が鳴りを潜め、前年度の半分なる12本塁打しか打てませんでしたがチームの優勝に貢献し、守備も上手かった為、若手の台頭もなくレギュラーとして6年間活躍しましたが、隔年で活躍するイメージでした。ただ若手育成の方針に切り替えた2017年オフに自由契約となってしまいプロからのオファーもなく、BCリーグに2000本安打も達成できず結局引退。今年から二軍打撃コーチに就任し、指導者としての一歩を踏み出しました。
杉内俊哉(2012-2018年)活躍度 ★★★☆☆ 3.7
ダイエー・ソフトバンクの大エースとして活躍していましたが、フロントと評価面、金銭面で対立しFA宣言。
元々原監督の大ファンだったこともあり、巨人移籍を決意。一年目からフル回転し内海らとともに2012-2014年の3連覇に貢献。この間は3年連続二けた勝利やノーヒットノーランを達成するなど、内海とWエースでチームを引っ張るも2015年から長年の酷使で股関節を手術、リハビリを3年間するも回復せず結局引退。最初の三年間は大活躍も後半は故障で某に振ってしまったので3.7とさせて頂きました。しかしそのリハビリ期間に今村ら若手を指導するなど、指導力を買われ、今年から二軍の投手コーチに就任。第二の杉内の育成に期待したい所です。
大竹寛(2014-) 活躍度 ★★☆☆☆ 2.8
広島時代はMAX155kmの豪速球で押すスタイルだったが怪我などもあり徐々にシュートボールピッチャーに変化。
チェンジアップも習得し緩急を使ったピッチングを徐々に習得し、広島在籍時代は4度の二桁勝利を挙げるなど活躍、そしてFA宣言をして2014年から巨人に移籍する訳ですが、1年目は先発5番手投手として9勝を挙げ、チームの優勝に貢献します。
2015年以降は徐々に成績が低迷しはじめ、スタミナに課題があり、5回を超えると打たれ始めるピッチングが続いて今年はローテーションから外されてしまいました。1年目以外は成績が下降気味だったため、大竹が投げると打たれるイメージが強く、巨人ファンにも最近はあまり評価されていないかもしれません。
片岡治大(2014-2017年)活躍度 ★★★☆☆ 3.0
西武時代は4年連続盗塁王を獲得するも怪我で低迷!原監督とはWBCで一緒に戦った間柄でその当時セカンドがなかなか定着しなかった為、片岡に期待したファンも多かったのではないでしょうか?巨人移籍後も2年連続20盗塁以上
打率は低かったもののパンチ力のある打撃で2番打者として定着。移籍1年目は優勝にも貢献しましたがやはり怪我には勝てず2017年を持って引退を発表。2018年からは二軍の守備、走塁コーチに就任し、若手を指導しています。
相川亮二(2015-2017年)活躍度 ★★☆☆☆ 2.6
横浜時代谷繁の後釜として正捕手に定着し、打撃力、守備力、肩力とも評価されていました。5年間横浜で正捕手として活躍した後FA権を行使し、ヤクルトに移籍。ここでも持ち前の打撃力と2度の盗塁阻止率No.1を2回獲得し、ヤクルト時代の前半3年間は正捕手として活躍していましたが、後半は怪我などもあり常時出場がなくなり、若手中村の台頭もあり出場機会が徐々に減っていきます。2度目のFAで巨人に移籍、小林の二番手捕手として活躍!リードはあまり評価が高くなく、打撃力が評価れた3年間でした。ファンからの人気も高かったが移籍3年目の2017年に引退。今年からジャイアンツのバッテリーコーチに就任。
金城龍彦(2015年)活躍度 ★☆☆☆☆ 1.3
横浜時代は投手から野手に転向し、4度の3割を記録したシュアなバッティングと堅実な守備と強肩で新人王、首位打者、ゴールデングラブ賞を2度獲得するなど暗黒時代でしたが横浜ベイスターズを支えて一人でしたが、FAで移籍してきた時は既に衰えが顕著で、巨人ではなかなか出番がなく36試合の出場に留まり1年で引退。その後指導者となり、三軍の打撃コーチ、二軍の外野守備コーチとして歴任。今後守備力強化の為に一軍にお呼ばれされる日が来るかもしれません。
原政権12年間で12人のFA選手を獲得!活躍したのは?引退後はコーチ業が多い?
原監督が12年間という長い期間に渡り指揮していたので、おのずと獲得した選手も多いですが、やはり長く活躍した選手は非常に少ないですね。原監督時代に大活躍したイメージがある小笠原選手ですら実際働いたのは4年間、杉内投手も3.5年と短いです。一番長く活躍してのは村田修一選手でしたが、若手育成という理由で自由契約になってしまう不運もありましたが、最終的にはコーチとして戻ってきている所を見ると、FAで移籍した選手には契約にコーチ手形が決まっている可能性もありますね。豊田、村田、相川、杉内、片岡、金城とコーチになっている選手が多いのが特徴です。
原政権FA選手活躍度
S 小笠原
A 杉内
B 村田修一
C 豊田、片岡
D 大竹、藤井
E 相川、野口
F 金城、門倉
筆者の個人的な印象、見解も入っていますがザッと見た限りこんな感じでしょうか?
やっぱりピークを過ぎて入団してくる選手が多いので過去の実績はあまり当てになりませんね。あとはコントロールがアバウトな投手は活躍できない傾向がありそうです。10勝10敗タイプの大竹、野口、門倉が活躍しなかった面(高橋監督時代は野上)を見ると、今後移籍してくる選手は12勝7敗タイプしか活躍できないですね。打撃面は3割を打てるかがキーポイントになりそうです。それだけ打率が悪いと叩かれやすい傾向がある気がします。(清原、広沢がそういうタイプでした。)
まとめ
これだけ超人気球団で外様にも厳しい中活躍するというのは難しいといえますね。
長嶋監督時代も含めてみても超一流であった落合、工藤
原監督時代は小笠原、杉内が成功例ですが、一番安定していたのは村田修一というのも意外ですね。
それだけに去年自由契約にしたのはもったいなかった気もしますが、それも運なのかもしれません。
今年入ってくる打撃の弱い炭谷は本当に覚悟した方が良いかもしれませんね。
丸みたいな3割30本タイプなら小笠原程ではないですがそのくらいのレベルで活躍できる可能性を秘めていると言えるでしょう。